「LGBTQ+」の「+」にあたる女子高生がブログを書いてみた

「LGBTQ+」の「+」にあたるパンロマンティック・トランスヴェスタイトの女子高生が日常生活やLGBTQ+についてを書きます

「LGBTQ+」の「+」にあたる女子高生がカミングアウトについて考えてみた

こんにちは。あおいです。

前回のブログでは『「LGBTQ+」の「+」にあたる女子高生がブログを書いてみた』と題して、私のセクシャリティである「パンロマンティック」と「トランスヴェスタイト」についてお話しました。

興味のある方は読んでくれると嬉しいです。
aoi-lgbtq.hatenablog.com



さて、前回の記事の中で「パンロマンティック」について、「性的指向ではなく、あくまで恋愛感情で全ての性別の人に惹かれる」と紹介しましたが、「え?じゃあ性的感情は男性にしか持たないの?」と疑問に思った勘のいい方も少なからずいるのではないでしょうか。

今回はそれについてと、学校や職場でカミングアウトをするべきか否か、また、当事者がカミングアウトをした場合周りの人たちはどんな対応をすればいいのかについてお話していこうと思います。(タイトルにもあるようにカミングアウトについてが本題となっています)


まずは「パンロマンティックの性的指向について」です。
単刀直入に言ってしまうと、色々な人がいます。
恋愛感情は全ての性別の人に持てるけれど、性的な感情は男性にしか持てない、または女性にしか持てないという人もいますし、性的感情も全ての人にむけられる人(バイセクシャル)や、そもそも性的欲求を抱かない人(ノンセクシュアル)もいます。

ちなみに、「性的な感情や欲求」は性行為だけをさすのか、キスやハグなどの特別なスキンシップも含むのかも人それぞれだと思います。
私の場合は、キスやハグなどは恋愛の延長線上にあると考えるので、惹かれた人なら全ての性別の人と出来ます。性行為についてはまだよく分からないですが…

次はカミングアウトについてですね。
あなたは学校や職場でいつも仲良くしている人が突然カミングアウト(自分が性的マイノリティであることを家族など周囲の人に伝えること)してきたらどうしますか?「え?あなたが?冗談でしょ?」と思うでしょうか。

多くの人は、「この人LGBTQ+の人なんだ」と認識すると、過剰に反応してしまい、どう接していいか分からなくなって、もういっそのこと離れてしまえ!!となるかと思います。もちろん、ちゃんと対応ができる人だってたくさんいると思いますが。

例えば、普段学校で過ごしている私は、”本当の私”を知らずに接しているクラスメートにとってはみんなと同じ女子高生にしか感じないと思います。だからみんな、私がパンロマンティックでありトランスヴェスタイトだということは当然知らないし、そもそもカミングアウトしていないのでそういう概念すら頭にないでしょう。
当然のように男の子だけを好きになり、当然のように「可愛いね」と言われたいと思っている、と認識しているはずです。

だから、「あおいちゃん髪の毛伸ばしなよー」とか「リボンのピンとかつけたら可愛いんじゃない?」とか「好きな男の子のタイプは?」とか、友達は結構フラットに(まぁ普通の子なら盛り上がる話だからそれが“当たり前”なんでしょうけど)言ってきます。でもこれ、結構心にきます。友達同士の何気ない一言も、私には小さくて細い鋭利な棘となって、心を突き刺してきます。

とはいえ、私がカミングアウトをしなければ友達が私のことを“そういう人なんだ”と認識し、配慮できないのも知っています。だからって、「じゃあ明日の朝みんなの前に立って“私はパンロマンティックでトランスヴェスタイトなんですー!今まで黙っててごめんね!てへぺろ!”って言おう!そうしよう!」なんて考えにはなりません。もしそんなことしたら、今までの友情がなかったことになるかもしれないし、何より、女の子の友達が私から一気に離れる気がしてならないのです。
「えっ…あおいちゃん、私の事そんなふうに今まで見てたの…」って。絶対そうなるでしょ。本当はそんなことないけれど、でもそうなるはず。だってみんなにはない感覚だから。

誰だって、自分に理解できないことを理解できないまま受け入れるなんてそうそうできないでしょう。みんな、石橋は叩いてみて安全かつ自分にも渡れるということを確認してからじゃないと足を踏み入れたくないのです。私だってそうですし。
 
だから悲しいけれど、「気持ち悪い」と感じたり「なんかよくわかんないけど無理」と感じる人たちの気持ちも分からないわけではないのです。
小学校の時に本当にナチュラルに「私、好きになるのに性別って関係ないと思う。女だから男を好きにならなくちゃいけないなんて誰が決めたの?」とカミングアウトしたときも、周りの反応は様々でした。

「女なのに女を好きになるんだろー?きもー!」と直接的にからかう人、黙って私から離れる人、動きが完全にフリーズする人、「冗談でしょ」と笑う人。

今ではこの反応はしょうがないことで、その人には理解ができなかったんだな、どんまい、と思うようにしていますが、この時は私も幼かったのでやっぱりわりと傷つきました。
でも当時、一番仲がよくて信頼していたある男の子が、私がカミングアウトをした日の翌日、地域の図書館で借りてきたLGBTの本を何冊か見せてきて、「俺、あおいの言ってたことちゃんと理解したいから、よかったら一緒にこれで勉強しない?」と言ってくれたのです。その時、一気に気持ちが軽くなっていくのを感じました。「あ、こいつがいてくれる限り、私は一人じゃないじゃん」と思えるようになったのです。
彼は私のヒーローでした。

今思えば、当時はなんとなく「みんなと違うな~」とは思っていたものの、LGBTQ+という言葉を知らなかったので、そういうセクシャリティなのだというのを自分でもあまり理解できていませんでした。本当にぼんやりとしか感じていなかったのです。けれどその男友達と一緒に勉強していくうちに、「あ、私ってこれかも」と思うようになっていきました。それと同時に、この世の中ではそのことはあまり口に出さず見えないようにしておくべきだという暗黙の了解も理解しました。そして中学校で新しい学校に入り、唯一の味方だった彼とも離れ離れになって、私が周りに自分のセクシャリティを話すことはしなくなりました。

過去のトラウマから、私はカミングアウトをすることを怖いと感じています。今学校で毎休み時間一緒にいる親友にですら、「私は本当はこういう人間なんだ」ということを伝えられずにいます。

LGBTQ+当事者として堂々とカミングアウトできる人もいれば、できない人もいます。それは心の強さももちろんあるかと思いますが、環境の違いも影響してくるかと思います。

周りの人の受け入れ態勢が十分にできていれば、当然、当事者も打ち明けられやすいですよね。逆に、「同性愛とか漫画だけの世界でしょ」みたいな人達の前では打ち明けにくいです。

また、カミングアウトをした後、その人が「カミングアウトなんてするべきじゃなかった」と後悔してしまうような空気を作らないというのも大事なポイントですね。一人でも茶化したりすると、周りの人もそれに便乗して最終的にはいじめに繋がる…というのもありえなくないことです。(実際、私の時もそうでした。)
カミングアウトをした、ということは、みんなの前であっても隠さずに”本当の自分”でいたいという意思があったということです。その意思を尊重できる人がたくさんいれば、自然と理想的な環境になるのではないでしょうか。

カミングアウトするべきか否かという論点でいけば、どちらにもいいことと悪いことが考えられるので、どちらがいい、とは言いきれません。
 
でも、カミングアウトをしないまま、自分を必死に隠してみんなに合わせようと生きる人生は決して楽なものではありません。もちろん、苦しいことだけではないです。普通に生活していれば、楽しかったり、嬉しかったり、幸せを感じます。だけどふとした時に、「やっぱり私っておかしいのかなぁ…」と思ったりもします。学校という公共の場にいると、同世代から大人まで(時にはもっと多くの人が)いるので、その分いろんな人がいろんな形で私を小さくします。

私のクラスだけ見ても、よくテレビ番組で見るタレントをLGBTQ+の代表みたいに思っている人が多すぎます。普通の恰好、普通の喋り方、普通のふるまいをしているLGBTQ+の人だっているのに…というか、そういう人の方が本当は多いんです。気づかないだけで、今これを読んでいるあなたのそばにもきっと一人か二人はいるでしょう。カミングアウトをしていないから気づかないだけ。本当にただそれだけなのです。

一番大きなテーマはセクシャリティの問題ではなく、「いかにこの世の中、この生活の中でうまく生きていけるか」だと思っています。そのためにカミングアウトをしたいと思う人もいるし、私のように黙っていきたいと思う人もいます。

異性愛者も、同性愛者も、それ以外の人も、同じ立場で同じ幸せを、同じように感じられる社会になるといいですね。



それではまた次回のブログで!

It Gets Better.